巨匠が世界に冠たる「霊峰富士」に込めた《日本の美と誇り》。
富士を描くことは、富士にうつる自分の心を描くことだ ―
横山大観
大観が目指した気宇壮大な富士
画伯が作品に込めた想いを伝え
るため、一枚一枚丹念に手彩色
を施します。
るため、一枚一枚丹念に手彩色
を施します。
■「富士といえば大観、大観といえば富士」とまでいわれ、数々の富士山を生涯の画題として描き続けた近代日本画の巨匠・横山大観画伯。この度、ご紹介する『正気放光』は数ある富士図の中でも、日本人の誇りを描いた一大傑作として知られています。
■天空から俯瞰(ふかん)された霊峰の壮麗な威容に思わず目を奪われる本作品。豪華な金泥(きんでい)で表された瑞光(ずいこう)に包まれ、冠雪(かんせつ)を抱く山頂はまばゆいばかりの輝きを放ちます。まさに、横山大観画伯が目指した日本美の象徴、気宇壮大な富士にふさわしい姿です。
■本作『正気放光』を眺めると富士の周りには荒波が描かれています。画伯は本作で単なる名 峰の画を描いたのではなく、富士を日本列島に、大雲海を太平洋と日本海に見立てているのです。太平洋は幾重にも波打つ白の雲海、日本海は神々しい黄金色の曙で表現。日本を世界に冠たる富士に重ねることで、日本の誇りと美の真髄が込められています。
作品の真正性を証明する、エディションナンバー入りの奥付つき(写真右)
軸装
額装
横山大観記念館監修のもと復刻
■本作品は大観のご令孫(れいそん)である横山大観記念館館長・横山隆氏監修のもと復刻した価値ある芸術作品。原画と同じ手漉き和紙に高精細多色刷りを用いて、熟練の絵師が一枚一枚丹念に本金、本岩絵具を手彩色で施し原画さながらに再現。大観自らの提言で生まれた巧藝画(こうげいが)技法を受け継ぐ工房で正式に制作されました。今回は、限定500部制作のうち軸装と額装、各10部を確保。画伯の想いとともに本作を末長くご愛蔵いただければ幸いです。
お部屋を凛とした気韻に包み込む名幅。
第一回文化勲章受章作家 横山大観 略歴
明治元年、茨城県水戸市に生まれる。東京美術学校第一期生として入学。校長であった岡倉天心を生涯の師とする。明治29年、東京美術学校助教授に就任。色彩を主とした「朦朧(もうろう)体」と呼ばれる新画風をつくり、美術運動の代表的作家として活躍する。明治31年、天心、菱田春草、下村観山らとともに日本美術院を創立。明治40年より文展の審査員を務め、その地位を確立。大正2年、天心没後の日本美術院を再興。昭和12年、第一回文化勲章を受章。昭和17年、本作『正気放光』を再興第29回院展に出品。昭和33年、逝去。正三位勲一等旭日大綬章を贈られる。 享年90。