※現在は「長野県立美術館 東山魁夷館 東山魁夷館元館長・松本猛」となっております。
幻想的な青い森に舞い込んだ白馬が奏でるピアノの美旋律。
神秘の世界に見入っていると、ひっそり走り去って行くような
緩やかな時の流れ、澄んだ余韻が心に染みわたります。
東山作品といえば白馬のいる風景!その中でも最高傑作
故 東山魁夷画伯
■幻想的な青い森に佇む一頭の白馬。いつどこから舞い込んだのでしょう。その姿は穏やかなピアノを奏でているようです。やがて優しい独奏が進む中、主役を取り囲む針葉樹から柔らかな音色のフルートなど、木管楽器の旋律が聞こえてくるではありませんか。ただ、オーケストラが盛り上がりを迎えると、ピアノのしらべが白馬とともに徐々に遠のいていくような錯覚が込み上げてきます。
今回ご案内の『白馬の森』は文化勲章受章画家・東山魁夷の大人気シリーズ「白い馬の見える風景」の中で一番人気が高い不朽の名作。魁夷が愛し続けたモーツァルトのピアノ協奏曲をイメージしたこの作品は白馬の姿が静謐な世界へ溶け込むように、最も大きく描かれているのが実に印象的です。
圧巻なのは、歩みを止めた主人公が「静」として描かれているにも関わらず、風のように現れ、あたりを逡巡すると、そっと走り去って行くような感動をもたらす表現力です。瞬間としてではなく、前後の時間の流れまでを表現する驚異の画力。白馬はただ立ち止まっているのではなく、過去と未来を想像させるほど、写実的で生命力に満ちあふれています。澄んだ余韻が心に染み渡るのは、光と影の画家による色彩魔術の賜物。緩やかな時の流れを感じずにはいられません。
36年ぶりのヨーロッパ再訪によって現れた巨匠の分身
■本作は昭和47年、「天地の境」とも称される秘境・富士山五合目を題材に描かれた改組第4回日展出品作品。しかし、それ以上に魁夷が前年に旅した北ドイツからモーツァルトゆかりのオーストリアで目にした光景が強く投影されていることで知られます。というのも、この旅程は若き日の東山青年がドイツ留学時代、何度も訪れながら、戦争へ世相が傾いていく中、帰国を余儀なくされた心の故郷だからです。「絶望していた当時、形のないものが言葉になり、音楽となって聞こえ、それが平和の象徴・白馬となって現れた」―。この言葉通り、若き日の鼓動を取り戻すため36年ぶりに訪れた原点が最高傑作を生み出したといっても過言ではありません。
「再訪の際、懐かしい期待と同時に不安もあった。戦争を経て、昔の面影が今も残っているのだろうか。もし失われていたなら、私の青春の残骸も消え去ってしまうだろう。しかし、幸いなことに夢の情景はそのままであった。私の胸はそんな町に巡り会うだけで若々しく高鳴った」
戦後、出会う風景の中に人物や建物を混じえず、あるがままの自然との触れ合いに画家としての道を見いだし続けてきた昭和の国民画家・東山魁夷。しかし、現実として描かれた富士の森に、心に住む白馬が現れたのは、異国への郷愁と平和への祈りがおのずと表出したからでしょう。
「白馬は画業の旅を続ける私の分身なのかもしれない。しかし、解釈は見る者の自由である。心の奥の森は誰も窺い知ることはできないのだから」
■もちろん、奥へ向かうにつれ、陰影を濃くする樹々も筆舌に尽くしがたい美しさです。これは「東山ブルー」と称される至高の青を基調とした唯一無二の色配合の結晶です。本来、深い森で重なり合う樹々は人の瞳には単調な暗い陰影に映ります。当時の富士山の状況を考えると、魁夷は足を奥深くへ踏み入れることができなかったに違いありません。しかし、青の岩絵具と粉絵具に他の色を溶き合わせることで無限の色彩を生み出し、現実を超えた写実的世界を生み出すのです。美しい階層を織りなす樹木の息吹、ひんやりとした空気までを伝える卓越した描写力。これは自身を「自然の一部である」と考えた芸術哲学と、風景に身を委ねることで育まれた純粋な美意識の成せる業に違いありません。
■『白馬の森』を描いた翌年、魁夷は唐招提寺の障壁画に取り掛かります。そして、私たちは温もりに満ちた色彩を見て気付かされるのです。国家的大作でありながら、奈良で生活する人を思う気持ち、風土への愛が込められているのだと。つまり、一連の東山作品は自然と人々に対する尊い感情でつながっているのです。心の支柱である白馬に突き動かされてきた天才画家。だからこそ、風景しか描かれていない作品でも、それ自体が人間の心の象徴として感じられ、画のどこかに白馬を見付けることができるのではないかと思えてくるのでしょう。そして、この深い精神性は人生という長い旅路を経ることで獲得した尊い自然愛の成せる業に違いありません。
絶世の色調を隅々までご堪能いただける大スケールで復刻
監修の証である
ATELIER KAII
HIGASHIYAMA
■額寸縦62.2×幅83.1もの大スケールで蘇った『白馬の森』はいっぱいに広がる絶世の色調を隅々まではっきりとご堪能いただけます。これぞ、美しい自然を愛で、感動することができる日本人の喜びにほかなりません。しかも、本作は人の視覚に限りなく近い画像表現を可能にした最新技術を採用することにより、原画の清涼な色彩と感動を呼ぶ深みを克明に再現しました。あまりの完成度の高さに東山家が「この出来栄えであれば世に出せる」とお墨付きを与えた稀少な復刻画とあって所蔵価値も格別です。お飾りいただけば、みなぎる画魂と美旋律が聞こえてくるような無二の雰囲気を目と心で感じ取っていただけるでしょう。
額裏面には東山
家の正式承認印
が押された証紙
■この度は復刻記念として高級感あふれる「特製木製額」にお納めしました。厚みある風格のハンドメイド浮き出し加工は和洋問わず、空間を格調高く演出。枠は銀色高級仕上げ、背板は梨地仕上げが美しいメタリックシルバーとなっております。さらに、別売にてお好きな場所にお飾りいただける『額置スタンド』もご用意。額裏には真正性を証明する東山家の正式承認印とエディションナンバー入り証紙。作品左下には監修の証である「ATELIER KAII HIGASHIYAMA」の認証入り。原画の所蔵美術館である長野県立美術館・東山魁夷館元館長の松本猛氏の解説つき。東山家の正式許可を得た極上の色彩を誇る待望作です。頒布は限定500部制作のうち、わずか20点のみ。お問い合わせが殺到しておりますので、なるべくお早目にお申し込みください。
※写真の『額置スタンド』は別売となります。ご注文はこちら。
「天地の境」「天狗の庭」の異名を取る 富士山五合目
昭和の国民画家とたたえられながら、東山魁夷が富士山を題材にした作品は数点しか残されていません。自然に身を委ねることで、風景が刻々と移ろう様子を描き続けた魁夷にとって、遠くに臨む日本美の象徴は魂をぶつけるテーマではなかったのかもしれません。そのため「自分らしいイメージを抱くまでは安易に富士を描かない」と考えていたようです。
満を持して描かれた『白馬の森』の題材である富士山五合目は「天地の境」とも呼ばれ、森林限界線に位置しています。眼前にはブナやカラマツの原生林が生い茂るまさしく秘境。眼下には樹海が広がり、清らかな自然が四季を通じてさまざまな表情を見せます。今と違って山道が整備されなかった当時、「天狗の庭」の異名通り、魁夷は足を奥深くへ踏み入れることができなかったに違いありません。そのため、かつて旅したヨーロッパの険しい森のイメージを投影しながら、清らかな空気が漂う本作を白馬とともに描いたと考えられています。
東山作品としては初の工芸技法を採用
人の視覚に極限まで近づける最新の驚愕技術
特製木製額は格調高い銀仕上げ、浮き出し
加工になっています。作品の風格にふさわ
しい高級感が漂い、和室、洋室問わず、空
間を格調高く演出します。
本作には東山魁夷画伯の作品として初めて採用された特殊加工が施されています。デジタル画像表現は青を基調に繊細な色彩に彩られた東山作品を再現すべく、人の視覚に極限まで近づけることを可能にした最新技法。画像を色相・彩度・明度の要素をもった粒子に分解して再構成し、従来の印刷技術ではなし得なかった 中間にある多様な色彩が実現されています。
さらに、こうしてデジタル加工された画を、美術鑑賞用の高級アクリルガラス(UVカット)に熟練の職人が丹念に貼り合わせました。アクリルを乗せる理由は 原画の深みが忠実に再現され、より味わいを増すからです。また、紫外線による退色や酸化による劣化を防ぎ、長期にわたって色鮮やかな世界をご堪能いただけ ます。最新技術によって実現した絶世の東山ブルーの醍醐味を心ゆくまで味わってください。
勲一等瑞宝章受章 文化勲章受章 東山魁夷画伯 略歴
1908年 横浜市に生まれる。3歳の時に一家で神戸に移住。
1926年 東京美術学校日本画科に入学。
1929年 第10回帝展にて「山國の秋」が初入選。
1931年 東京美術学校日本画科研究科に進み、結城素明に師事。
1933年 同校同科研究科修了後、第1回日独文化交換学生に選ばれベルリン大学哲学科に留学、美術史を学ぶ。
1937年 帰国後、初個展を開催。
1939年 日本画院第1回展に「冬日(三部作)」を出展、日本画院賞第1席を受賞。
1947年 第3回日展で「残照」(東京国立近代美術館蔵)が特選を獲得。政府買い上げの名誉に浴す。
1956年 「光昏」で日本芸術院蔵により日本芸術院賞を受賞。
1965年 日本芸術院会員となり、日展理事に就任。
1968年 皇居新宮殿壁画「朝明けの潮」を完成。
1969年 毎日芸術大賞受賞、文化勲章受章とともに、文化功労者となる。
『緑響く』が完成するも行方不明となり、10年後に再度制作に挑む。今回ご案内の『白馬の森』を完成する。
1974年 日展理事長となる。
1975年 唐招提寺障壁画「山雲」「濤声」を完成。
1976年 ドイツ連邦共和国功労大十字勲章を受章。
1977年 パリ、プチ・パレ美術館で唐招提寺展が開かれる。
1979年 東ベルリン、ライプチヒで展覧会を開催。西ドイツ、プール・ル・メリット会員。
1982年 『静映』『緑響く』を完成。
1986年 第18回日展に「溪音」を出展。日本芸術院第1部長に選任。所蔵の自作品を一括して長野県に寄贈することを決定。
1989年 ベルリン、ハンブルグ、そしてウィーンにて展覧会、同帰国記念展を開催。
1990年 大嘗祭の大餐の儀に使用された「悠紀地方屏風」を制作。長野県信濃美術館・東山魁夷館開館。
1991年 「わが旅の道」展を開催
1995年 「米寿記念展」を開催。
1997年 「卒寿を迎えて―私の森」展を開催。
1998年 長野オリンピック開催に合わせて「人と自然そして祈り inJapan」展を開催。
1999年 享年90で惜しまれつつ逝去。逝去後、勲一等瑞宝章を受章。
※2021年4月に「長野県信濃美術館・東山魁夷館開館」から「長野県立美術館・東山魁夷館開館」に館名変更をしております。