聖徳太子の遺徳が宿る壮麗な御堂、ここに甦る。
聖徳太子の化身とされる救世観音像が金色に輝き、光が差し込むことでよりいっそう神々しさが増します
夢殿の真上から俯瞰すると、救世観音が八体安置されているような映りが見られます
霊石水晶の中に現れる18金救世観音像
■どこまでも澄み切った無色透明の水晶八角円堂に静かにたたずむのは18金の救世観音像(ぐぜかんのんぞう)。一切の俗悪を浄化する霊石水晶の清澄な透明感が、見る者の心をさらなる清新へと導きます。伽藍(がらん)頂上を飾るのは不幸災難を除き、濁水を清水にするといわれる如意宝珠(にょいほうじゅ)を象った擬宝珠(ぎぼし)。八角屋根の八隅を飾る風鐸(ふうたく)も水晶の反射を受けて清廉に輝きます。
漆黒の空に浮かぶ金彩色の瑞鳥鳳凰(ずいちょうほうおう)は、聖徳太子の化身と伝えられる「救世観音像」を寿ぎ舞うように飛翔します。国宝伽藍『夢殿』は、荘厳で神秘的なまでに仕上げた甲州水晶貴石細工の名匠・田中佑幸氏の卓抜した技によって完成された傑作です。
聖徳太子の遺徳を偲んで建立された夢殿
ガラスケース背面に施された
金彩色の瑞鳥鳳凰
■法隆寺東院伽藍中心に建つ国宝「夢殿」は聖徳太子が住まわれた斑鳩宮(いかるがのみや)があった場所です。冠位十二階、十七条憲法の制定、遣隋使の派遣などの歴史的偉業を成し遂げた聖徳太子ですが、何よりも仏教の興隆に寄与された方です。この聖徳太子の遺徳を偲んで天平11(739)年、行信僧都によって建立されたのが八角円堂「夢殿」です。この御堂は聖徳太子が夢の中で金人(仏)に出会い、妙義を授かったという伝説に由来し、後世「夢殿」と呼ばれるようになりました。
■聖徳太子の夢枕に現れた御仏に由来して名づけられた「夢殿」の中央に安置されている厨子に門外不出の秘仏として伝え守られてきたのが国宝「救世観音像」です。救世観音は衆生の救いを求める声を聞き救済する菩薩で、まさに民の声を聞き政(まつりごと)を行った聖徳太子の偉業と重なります。
像高178.8cmの樟(くすのき)に彫られた観音像は太子の等身大といわれ、飛鳥彫刻の最高傑作といわれます。やや面長の気品あふれる御尊顔で、波打つような天衣に包まれている「救世観音像」です。
貴石水晶を精巧に組み上げた優美な造詣
光のプリズム効果で七色に
輝きます
■水晶は古今東西、神秘的な霊力を持つ貴石として珍重されてきました。水晶の語源は「水の精」で豊穣をもたらす雨であり、悪霊を洗い流し幸福をもたらす浄化の宝石といわれています。また、水晶は風水学的にも良い気を呼び、心鎮めるといわれ、仏教においても念珠や装身具として珍重され、その念力によって邪気を祓い幸運を招く護符としても人々に崇められてきました。
甲州水晶貴石細工の歴史は古く、約千年前、山梨県の御岳昇仙峡(みたけしょうせんきょう)で水晶の原石が発見されたことに始まり、享保年間には京都から玉造りという研磨技法が伝わり甲州水晶の研磨、細工は新たな一歩を踏み出しました。熟練工の繊細でかつ高度な技法を求められる甲州水晶貴石細工は1976年には国の伝統的工芸品、1994年には山梨県の伝統的工芸品に認定されています。
伝統工芸士・田中佑幸の技が光る名品
山梨県水晶宝石美術彫刻家
協会による証明書つき
■水晶はその繊細な美しさゆえ加工が難しく高度な技術を要求されます。八角円堂の8枚の屋根1枚1枚を精巧丹念に削り、寸分の隙間もなく組上げ、真上からすることによって救世観音像が八体となって安置されているようなプリズムの妙を見せてくれます。
この優美な造形と磨きの技を見せてくれるのが、県指定の「山梨の名工」であり、経済産業省の「伝統工芸士」に認定されている甲州水晶貴石細工の名匠・田中佑幸氏です。
田中佑幸 略歴
1940年、山梨県甲府市生まれ。若くして、不世出の名人と称された伝統工芸士の父・田中尭保(たなかたかやす)氏(勲七等)に弟子入り。以来、貴石細工の世界で長年にわたり研鑽を重ねる。豊かな天分を発揮し、関東通商産業局長賞、山梨県知事賞等を受賞。1994年「山梨の名工」に選ばれる。1995年には国の伝統工芸士に認定された、現代貴石彫刻界の名匠。