美術品の美しさを兼ね備える稀少品
(表面)表面は天皇の象徴である堂々たる龍図
(裏面は共通)裏面中央には、八稜鏡が縁取る旭日。それを桐と菊の枝飾りが囲む。左右には日月を描いた二旒の錦の御旗。上下にはそれぞれ十六昇八重表菊紋と五七桐紋を打刻
貨幣の鋳造技術が確立されていなかった明治初期、
江戸最後の彫金師・加納夏雄が彫り上げた芸術金貨!
堂々たる龍図、手のひらにズシリとくる重量感は圧巻です。
江戸最後の彫金師・加納夏雄が彫り上げた芸術金貨!
堂々たる龍図、手のひらにズシリとくる重量感は圧巻です。
年々、残存数が減っているため高い稀少性を誇ります
■ズシリとくる重量感もさることながら、稀少性、美しい彫刻から金貨の王者と誉れ高いのが、明治新政府が初めて鋳造した『旧明治十圓金貨』『五圓』『二圓』『一圓』です。いずれも江戸最後の彫金師・加納夏雄の作品で、当事の世界基準に比べると、圧倒的な金の含有量を誇り、蒐集家のステイタスとなっています。
■徳川幕府を倒した明治新政府がまず着手したのが、円単位の十進法の制定と新貨幣の鋳造でした。これを受け、政府は明治天皇の愛刀・水龍剣の拵えを彫刻した加納に制作を依頼します。
技術がまったく確立されていなかった近代貨幣の創造期にあって、髪の毛一本一本まで表現する毛彫りが生み出した彫刻は、世界を驚嘆させる素晴らしい完成度。貨幣鋳造の指導にあたっていた英国人技師ウォートルスは「日本人の指先は世界一だ。我が国でも加納に勝る彫金師はいない」と絶賛したと伝えられます。
すべて鑑定書つき
■表面中央には堂々たる龍図。裏面中央には日章を囲む桐と菊の枝飾り、左右には日月を描いた二旒の錦の御旗、上下には菊と桐の紋が配されています。あまりに彫刻が精緻であるため、小さな『一圓』には刻印できず、政府は龍図をあきらめ、やむなく一圓の文字を入れたという逸話が残っています。
■ところが、国際経済の荒波にさらされていた開国したばかりの日本は、諸外国との金銀比価の違いから『旧明治金貨』の海外流出を招いてしまいます。
すべて桐箱に納めてお届け
します
そこで、明治30年、世界基準に合わせ、重さが2分の1の新金貨鋳造に踏み切るのですが、その際、この芸術金貨のほとんどは鋳潰されてしまいます。どの額面も僅かしか現存しないのには、このような歴史背景があるからです。
■世界中の愛好家が追い求める芸術金貨。ご所蔵いただけば、高い稀少性をご実感いただけるでしょう。年々、残存数が減っているため、今後、このお値段でのご提供は難しくなるかもしれません。この度は弊社秘蔵の品を特別頒布いたします。稀なる好機にご自慢のコレクションにお加えください。
なぜ『旧明治一圓金貨』は龍図を持たないのか?
龍図を唯一持たない『旧明治一圓金貨』。鋳造にあたり、明治政府はサイズの問題から髪の毛一本一本まで再現する加納夏雄の毛彫りを断念します。その後も大きさや厚みを変えるなどして、打刻を試みますが、加納の彫技を拝むことはできませんでした。もともとこの一枚は発行枚数が少なく、年々、流通枚数も減っていきます。というのも、庶民には縁遠く、他の額面や銀貨が広く流通しており、富裕層は主に五圓以上を利用していたからです。ちなみに、当時の東京・銀座の地価は坪約五円だったといわれます。
近代日本の彫金界の巨匠 加納夏雄
京都山城国生まれ。12歳で金工を学び、18歳の頃、開業して夏雄と名乗る。25歳で上京。明治2年帝室御用を命じられ、明治天皇の御太刀の装具を彫刻。同年、造幣局出仕。明治4年、新政府は加納に新貨幣の見本製作を依頼。これを受け、江戸最後の彫金師は9種類の金・銀・銅貨を製作。明治貨幣の表面には当時の欧米の例に倣い、明治天皇の肖像を押す声が強かったが、政府は畏れ多いという理由で、天皇の象徴である龍図と太陽を表す旭日模様を採用したという逸話が残っている。